「まあ、いっか!」
イライラする時とか、落ち込んだ時の魔法の言葉「まあ、いっか!」。
色んなサイトで、「まあ、いっか」の呪文を推奨しています。
私も最近、すごくイライラしてて、短気で、そんな自分に落ち込んでいたので、いろんな記事読んだんですけど、どれも「まあ、いっか」と楽になること、と書いてあるものばかり。
まあ、わかるんですけどね。だってその通りだもの。
「まあ、いっか」
こう考えられたら、一番良いんです。
何があっても「まあ、いっか」。
イライラするのは自分が相手に期待しすぎているから、ということを認め、相手に理想を押し付けた自分を理解し、理想を手放すために唱える呪文が「まあ、いっか」です。
でも、人によってはこの「まあ、いっか」がすごく難しくないですか?
こんなに簡単な呪文なのに、「まあ、いっか」と言いながら全然良くないと思っている本音、なんでなんだろう。と思ったので、どうして「まあ、いっか」と心から思えないのかを、自分の心を解剖してみたので、記事にします。
Contents
「まあ、いっか」と許してくれない環境
たとえばね、自分がミスして。
「まあ、いっか!」
って、自分を励ます意味でも言うんですよ。
次頑張れば良いし、ミスを減らしていけば良いだけなんですもん。別に、ひとつのミスで地球が滅びるわけじゃないんです。(映画の設定では滅びることはありますが、一般的には滅ばないです)
でも、周りが
「なんでできないの?」
「これをするのは当たり前でしょ?」
「常識でしょ?」
「こんなこともわからないなんて」
許してくれないことってありますよね。
こういう経験を積み重ねると、「まあいっか」と口で言いながら本心ではそうじゃない自分が出来上がります。
「まあ、いっか」と言いながら、今の状況を許せないんですよね。
そして誰かのミスも許せなくなる。
でも、これは自分が許せないと言うよりは、周りに許されない自分を認められないだけなんですよね。周りに振り回されている状態です。周りは言うだけ言って、助けてもくれないのに、ただ振り回されているんですよね。
「まあ、いっか!」を使えるように、ある程度「自己中&鈍感」になる方が良い
周りになんて言われるとか、思われるとか……気になりますよね。
わかります。私も近所づきあいしないし、全然人に対して好意的じゃない態度とるけど、それでも周りになんか言われたら気にするし、変に思われたらやだなーって、不安ですもん。
でも、結局のところ、周りは文句言うだけ言う、という人ばかりです。
身内であっても、そんなもんです。
そんな人たちの言葉をイチイチ真に受けても、相手は文句を言ったことすら忘れています。
「非常識じゃないの?」
「常識外れ!」
こんなん言われても、法を犯していないのであれば、相手がただ言っているだけにすぎません。
なんていうか、そういうこと言う人ってホント、自分の物差しと似た物差し持っている人同士でしかつるむコトないんでしょうね。
だから、「非常識じゃないの?」なんて言える。どや顔で言うけど、アンタの世界じゃそうなんだろうな!ってなもんですよ。
ですから、こんな周りのことを気遣う必要、あんまないんです。そりゃ協調性とかね、必要な場面はあるでしょう。あるけど、あっても別に全部合わせなくたっていいんです。
「まあ、いっか」
って言いながら、周りを伺わなくたっていいんですよ。
イライラしていることの原因って、
「自分はこうしたいから」
「こうじゃないとダメだから」
自分本位なことが多いけど、
「周りにこう思われちゃうから」
「周りにこんなこと言われるから」
周りに振り回されているからこその原因もあるじゃないですか。
どちらも自分のためであることには変わりないけど、周りに何かを言われたり、思われたくないからイライラするのは、「まあ、いいか」とただ言っても習得しづらいです。
だって、周りの目が気になったままだから、「まあ、いっか」なんて思えないですもんね。
その時はおさまっても、5分後くらいにまたイライラの繰り返し。
悪循環を断ち切るためには、周りに流されるばかりじゃなくて、ちゃんと個である自分を見つける事、これが大切です。
自分は自分!周りから自分をブチブチブチッてなかんじで切り離す
周りが~ってなかんじでイライラするから「まあ、いっか」の魔法の言葉も使えないなんて、しかも使えないことで落ち込んで悲しくて自信なくて何してんの?ってかんじです。
周りは周り、自分と周りを切り離さないと、いつまでもイライラするだけ、いない敵と戦い続けることになりますね。
そうじゃないじゃないですか、人生って周りのために頑張るもんじゃないじゃないですか。
だから、周りから自分を切り離します。魔法の言葉を使えるように。イライラは、ただ「自分がこうしてほしい」という願望だけでするように。周りが自分に求めるイロイロなんて気にしない(゚ε゚ )だって相手は私に何かを与えてくれるわけじゃないし、本気で望まれているわけでもないんだから。
例えば好きな人に「こうなってほしい」と言われても。
だから何って感じです。
自分の好き勝手に生きろって言うんじゃなくて、ある程度自己中になることを決意した方が良い。
「私はこうです」
別に、確固たる自分を確立せよと言っているわけじゃなくて、周りに流されている自分をいい加減認めて、認めてもくれない周りに振り回されるのは終わりにしようってことです。
周りに認められたいがために健気になる時間があるなら、自分が本当にしたい事を明確にしようよ。
周りに
ヒソヒソ( ゚o゚)ヤダァ(゚o゚ )ネェ、キイタ?( ゚o゚)オクサン(゚o゚ )アラヤダワァ
こんなん態度されたって、見ないふり。
自分が本当はどうしたいのかにだけ集中。
そして、周りに対して「私はこういう風にしたいのに!」「こんな風になってほしいのに!」というイライラが生まれたらそこではじめて
「まあ、いっか」
生きる魔法の言葉を使いましょう。
周りに流されているうちは、この言葉は生きない。すぐに消し飛んでしまうから、そうならないように、周りから自分を切り離しましょう。
集中しよ。
「まあ、いっか」は簡単じゃない。すごく難しい(まとめ)
何事も、習得するまでとても険しい道のりを進みます。
ぴょーんぴょーんって楽に行けたように見える人って、基礎を知らないうちに築いていただけなんですよ。
なんもしてなくてショートカットしたわけじゃない。
だから、「まあ、いっか」の魔法の言葉もできる人とできない人が居ます。
私はできない人ですが、昨日本当にそんな自分が嫌で、泣いて泣いてスッキリして「なんでできないんじゃー?!?!??!」とブチ切れて(笑)考えた結果、こんな風な結論に至りました。
「まあ、いっか」
はすごく難しいですよ。でも、できないことはない。
ただ、周りに流されているうちは、周りの影響でイライラしているだけのうちは、心を分解しても中々自分が本当にしたい事には届かないです。
自分がイライラしているだけなら、イライラ~ってしても
「あ~私がイライラしているのって、本当は〇〇にこれしてほしかっただけなんだ……自分が動きたくないだけで……うわー(ドン引き」
てなかんじで、すぐに自分が本当にしたかったこととか見えやすくなるんですよね。だからシンプルにね。しないと。
書いてて途中、混乱して支離滅裂ですが、言いたいことは書けた……ハズ!
すぐに忘れて、また同じようなことを書くかもしれませんが、今日はこれで終わります。
「まあ、いっか!」
を使いこなせる、朗らかな人になりたいです。ではまたヾ(゚ω゚)ノ゛