突然ですが、若作りについてどう思いますか?
若作りって痛いとか、痛々しいとか、そのつもりはないのに「若作りだ!」と言われるのってなんでなんでしょうね?
アラサーというか、アラサー以降の若作りと言われる行動って何故こんなにもバッシングを受けるのでしょうか。
しかし「若々しい」と支持を受ける女性もいますよね、違いはなんなのでしょうか?
今日はちょっと、若作りや若々しさについて思ったことを書いていきます。
スポンサーリンク
Contents
若作りと笑われるのは日本がグループ分けが好きな国だからかも
特に若作りではなくても、「若作り乙w」と笑われることがあります。
また、「ショートパンツは25歳まで」やら「赤色の服を30過ぎた人が着るのは痛い」やら言っているのを聞いたこともあります。
例え似合っていたところでこんなことを言われるのは、日本がグループ分けが好きな国だからだと思うんですよね。
例えば年齢もそうですけど、若い人は若い人のくくり、アラサーはアラサーとして見るし、アラフォーはアラフォーとして見ると思うんです。特におかしなことはないかもしれませんが、このグループ分けには「若い人はこうあるべき」「アラサーはこうあるべき」というよくわからない決まりもセットで存在するのですから厄介です。
この、「アラサーはこうあるべき」をどう考えているかで、見る人によって「若作り乙w」という感想を抱くのではないでしょうか。
似合っているとかその人の意思は二の次で、「アラサーらしからぬ行動」だから「アラサーと認識していない格好」だから指をさすのでしょう。
若作りと笑われても、好きなことして良いと思う、自分がしたいのならば
人に多大なる迷惑をかける行動は別として、アラサーがショートパンツはいたところで別に誰かに迷惑をかけているわけではありませんよね。
「アラサーのショートパンツとかw目に毒だからやめてほしいw」
と意地悪な言葉を言う人もいるかもしれませんが、こういうのって八つ当たりと言うか言いがかりすぎるので放っておいて良いです。
ただし、自分が好きでしたいわけじゃなくていつまでも20代の頃を引きずって20代の頃の甘い時間を忘れられなくてなんとかして取り戻そうとしているからこその意図的な若作りであれば、疲れるのでやめたほうが良い、とは思っています。
20代の頃の甘い時間は二度と手に入らない
時間は過ぎていきますし、20代の頃はずっとこの楽しさが続くものだと思うかもしれません。
20代を引きずっている人の多くは楽しい20代を贈ったからこそ引きずっているのでしょう。
ですが、20代の頃の時間、自分って二度と手に入らないのが現実なんですよ。
20代の頃モテて、それを忘れられずあの頃のようにちやほやされたくて20代のように振舞う、これって正直いくらやっても報われません。
だって、20代の頃のモテって、「20代」に価値があっただけで、「見た目が可愛い」「しぐさが可愛い」からモテたわけじゃないんですもん。
そしてその「20代の頃のように」という考えで行う若作りは見透かされています。
だからより痛々しくて、笑われやすくもなってしまうのでしょうね……しかもこういうコンプレックスからくる痛々しさって利用されやすくもなる面もとっても怖いなって私は思っていますよ。つけこまれやすいというか。
だからまあ、若さに縋り付いても意味がないんですよね。特に好きなわけじゃないけど必死に若作りをしている場合は本当に好きなことを始めたほうが良いですよ、そっちのほうが楽しいし、心も健康になるので。
「若々しい!」と支持されているアラサー女性もいる
「若作りw」と笑われるアラサー女性がいる一方で、「若々しい!」と支持されるアラサー女性も居たりするのも事実です。この違いって何なのでしょうか?
この違いって、私が思うに「自分が楽しむためにしていたことが結果若々しさに繋がっていた」と「人から若い評価を受けたいための若作りをしている」であるかの違いだと思うんですよね。
若さを思い浮かべるとき「色々なことが楽しい」「挑戦する力がある」というイメージ、わきませんか?
若々しいと支持される人も「楽しく挑戦する力」を持っています。
一方で若作りと笑われる人は、コンプレックスからの行動であるため、どこか後ろ向きで必死感がぬぐえません。
評価されずに焦って色々しても、やっぱり余裕がないので自分の姿も見えておらず、行動が裏目に出たりもするんですよね。焦りってマイナスばかりうみますね。
しかもアラサー枠に居ながら20代の若い子枠の真似をするので、20代グループから見ると「なんでこっちの真似するわけ?笑」と思っちゃうのもグループ分け大好き文化では仕方ないのかもしれません。
スポンサーリンク
「若く見られたい」はほどほどに「自分の好きなことをする」が良さそう
若く見られたい気持ちもわからんでもないんですけどね。
でも、若く見られたい気持ちで焦って若作りしても意味がなかったり、若さを取り戻そうとしてあがいても時間の無駄になることだけは、知っていたほうが良いんじゃないかなって思うんですよ。
それなら自分の好きなことをどんどん開拓していって、自分が楽しいと思えることを増やしたほうが良いです。
30歳になって思いますが、若作りするよりも楽しい事ってめちゃくちゃありますよ。(筋トレとか筋トレとか筋トレめちゃくちゃ楽しいですよ!)
というより、私はそこまで「すごく楽しい20代!」「すごく幸せな20代!」を送ったわけじゃないので、今がなんていうか人生の出発地点だなとか思いながら日々生きてます。楽しいんですよ、今が。
20代の頃に死にたくなるほどの悩みを持って生きていたりもしましたが、今はそれを全て解消したわけじゃなくても、20代の頃よりも心が軽くて今が楽しいんです。
こういう楽しいを増やしていったら自分が意図しなくても「若々しい」は手に入ります。楽しい事をしているときの自分って、周りから見てもめちゃくちゃ楽しそうなんで、自分も周りもハッピーになれますよ。
「若く見せる」を趣味にするという手もあるぞ
若く見せる研究を趣味にして日々励むっていうのもアリですね。コンプレックスからの若作りは正直、冷静な行動などができていないんで失敗しちゃうこともあるんですけど、若く見せるを趣味に色々研究していくと、若く見せるを成功させることは可能なんですよね。
例えば皺、ほうれい線を消すマッサージや表情を鍛えるなどを研究する気持ちで行っていくことで「自分に合うもの」「自分に合わないもの」を見極める目も持つことができるようになります。
切羽詰まった若作りって「あれもこれも」精神であることが多いと思うんですよ。
「〇〇が良いって効いたから試してる」
という気持ちで続ける若作りがうまくいくわけないじゃないですか。
若く見せるを研究する、それを楽しむ、焦らない、どれがどう良かったかを冷静に見ることができる、「若く見せる」しか考えられないのならいっそ、研究にしてしまいましょう。若く見せるを趣味にしてしまいましょう。
焦らない、これが大切です。焦ったら研究なんてうまくいきません。
ちなみに私のおすすめは筋トレです。
自分を磨く、磨いたら磨いただけ効果のあるアラサーを楽しもう(まとめ)
またとりとめのない文章になってしまいましたが、要は若作りを必死にしたって若さは取り戻せないよということと、若々しさはどの年代でも手に入れることができるから趣味増やしたりして楽しいを増やしていこうよって話がしたかったんです。
若く見せるっていうテーマも趣味になりえますし、コンプレックスや焦りで若作りを必死にするのは、疲れるので終わりにしたほうが良いんじゃないかな~と私は思っていますよ。
人っていつか死ぬんですから今のうちに楽しいこと美味しいもの見つけて満喫しときましょう。
ではまた♪